カブース国王の叡智と献身的なリーダーシップにより、誉れ高き国家に甦った現代のオマーン・スルタン国の姿をこの目で見てみたい――。目魁影老は高ぶる期待に胸を膨らませながら、マスカット国際空港に降り立った。30歳で国王に就任し […]
記事を読む »
中東の王政国家オマーンについて、この随筆では、「その2」と「その4」で触れていますが、目魁影老はついに、2017年3月14日から23日まで、オマーンに行ってきました。「その4」で松尾氏が、こここそ竜宮城と称えた国です。今 […]
記事を読む »
明治維新が始まって間もない明治4年(1871)12月、西欧列強の実像を探るために、新政府は史上空前の大使節団を米欧に派遣した。右大臣岩倉具視(47)を特命全権大使に、副使4名と各省から選ばれた俊才ら正式メンバー46名、そ […]
記事を読む »
毛利輝元は豊臣秀吉によって、天正19年(1591年)3月に領国を安堵され、その支配地域の石高は、安芸・周防・長門・備中半国・備後・伯耆半国・出雲・石見・隠岐を合わせて112万石とされている。しかし太閤検地は必ずしも厳密に […]
記事を読む »
福島正則は1600年10月の関ヶ原の戦い後に、徳川家康から安芸・備後2国を与えられ49万8000石の大大名になった。しかし家康の死後1619年に、福島正則は2代将軍の徳川秀忠によって、信濃国川中島の高井野藩4万5,000 […]
記事を読む »
福島正則は1600年10月の関ヶ原の戦い後に、徳川家康から安芸・備後2国を与えられ49万8000石の大大名になった。しかし家康の死後1619年に、福島正則は2代将軍の徳川秀忠によって、信濃国川中島の高井野藩4万5,000 […]
記事を読む »
律令制で定められた地方官の最上位の国司は、任期4年で交代する。それに対して、鎌倉武家政権によって始まった守護職は、任期があったかどうか良くわからない。親から子や孫へと何代も続いた場合もあれば、何カ国もの守護を兼務したもの […]
記事を読む »
武田氏は、平安時代末から戦国時代の武家で、「河内源氏」の流れを汲む。 関東に拠点を移して、武田氏の始祖となったのは源頼義(前九年の役で一躍名をあげた)の三男である源義光(新羅三郎義光)である。源義光は常陸介、甲斐守を経て […]
記事を読む »
平安時代に生まれた武士は、朝廷や摂関家に操られながら、親子や一門の間でも、壮絶な殺し合いを繰り返し、勢力を蓄えていった。その中でも、大きく飛躍したのが源氏である。清和源氏の4代目に当たる源頼信(968年-1048年)は、 […]
記事を読む »
日本史では、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と区分けして、我が国の過去の移り変わりを学ぶ。それぞれは、その時々の都の置かれた場所を指しているだけで、それはある意味では、後世の歴史家が勝手にそう呼んだに過ぎない。 7 […]
記事を読む »