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徒然道草62  異聞・暴論「なぜ長州藩は取り潰しにならなかったのか」   なぜ、長州藩は取り潰しにならず、生き延びたのであろうか。 幕府に睨まれた大名は、将軍の命令により、領地を取り上げられて廃藩になる、それが […]

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徒然道草61  異聞「学生寮修道館」の物語⑮ 広島藩こそ、江戸幕府から明治政府への大転換を演出し、日本を異国の脅威から救った最大の功労者のひとつである――この思いを抱く私である。しかし明治新政府が行った「賞典禄」を見ると […]

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徒然道草60  異聞「学生寮修道館」の物語⑭ その当時、学生運動は「70年安保闘争」で10年前のような反米運動の盛り上がりを狙い、頻繁に国会デモを行っていた。日大、早稲田といった大学では左翼セクトが手を組み「全共闘」を名 […]

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明治元年(1868年)から昭和20年(1945年)まで、人口3000万人の東洋の果ての島国は、海外諸国が驚く速度で富国強兵を成し遂げ、「一等国」へと駆け上がった。国土が狭いという弱点を克服するためる領土を広げ、農民を植民 […]

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1868年9月8日(西暦10月23日)に元号が「慶応」から「明治」に変わり、明治元年が始まった。その時に慶応4年1月1日に遡って新元号は適用されるとした。この年は閏4月が有り、一年間は13カ月383日であった。浅野長勲は […]

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では、戊辰戦争とは何であったか。官軍の勝利に貢献した諸藩の強い要請で、新政府は「賞典禄」という恩賞を出すことを決定した。明治2年6月2日(西暦1868年7月10日)、支給総額米74万5750石、現金20万3376両である […]

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 徒然道草56  異聞「学生寮修道館」の物語⑩  「錦の御旗」の威力は抜群で、佐幕派の諸藩も次々と官軍に屈し、1868年3月までには近畿以西は新政府に恭順した。しかし会津藩主松平容保らは、奥羽越列藩同盟を結成して、新政府 […]

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徒然道草55  異聞「学生寮修道館」の物語⑨ 徳川慶喜をどう扱うかは、将軍職廃止で総てが決着した訳ではなかった。公家の間にも関白廃止などの急進改革に対する不満があったし、在京諸藩にも、薩摩藩の強硬な動きに反発が高まった。 […]

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徒然道草54  異聞「学生寮修道館」の物語⑧ 1867年1月9日(西暦2月13日)に践祚した新天皇は14歳であった。元服、122代天皇即位の礼、大嘗祭という朝廷儀式の流れの中で、岩倉具視は暗躍を続けたが、依然として、国事 […]

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徒然道草53  異聞「学生寮修道館」の物語⑦ 江戸時代の有力大名は徳川800万石、前田102万石、薩摩72万石、伊達62万石、尾張61万石、紀州55万石、細川54万石、黒田47万石、浅野42万石、毛利36万石であり、浅野 […]

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