(目魁影老の徒然道草 その3)ニュージーランドを回りました
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(目魁影老の徒然道草 その3)ニュージーランドを回りました

2016年06月10日(金)2:30 午後

 

 私と妻は2012年の2月(向こうは夏です)に、丸一カ月ニュージーランドの娘夫妻の家で過ごしました。あの地震被災地のクライストチャーチです。
 南島で最大の都市のクライストチャーチは人口37万人(ニュージーランド第2位)、赤道からの距離は北半球でいえば札幌くらいです。しかし、周りに大陸が無く、海の中の孤島みたいなところですから、真夏とはいえ、日本から持って行った冬の上着で過ごさなければならない日が多く、海水浴どころではありませんでした。
 2月22日は大地震から丸一年ということで、セレモニーが市の中心にある広い公園で開かれました。その日は日本人28名の犠牲者のうち24人の遺族およそ80人が日本からも来ていたようです。町の中心部は未だ立ち入り禁止で、遅々として再建は進んでいません。2階建て~10階建ての高層ビルはわずかで、周りはみんな庭着き一戸建て平屋住宅の広がっている町です。観光名所でもあるカテドラルは崩壊し、博物館やホテルもヒビが入って、余震が来ればいつ崩壊するかもしれないために立ち入り禁止にして、取り壊すのか再利用するのか様子を探っている状況のようです。それでも生活していかなければならない市民のために、鉄製の巨大な貨物コンテナをそのまま並べて、或いは2階建てに積み上げて簡易商店をあちこちにつくって、営業を再開していました。
  ニュージーランドでは、娘夫婦と4人で南島をほぼ一周する5日間のドライブにも出かけました。突然、海底火山の隆起によって生まれたニュージーランドは最高峰3,754㍍のマウントクックを中心に高い山脈が続き、その後の氷河の浸食によって広い谷や湖や平原がつくられていった姿がうかがえます。しかし土壌は氷河がもたらした砂利畑ばかりで、水はけが良すぎて、牧草を育てるためには地下水をくみ上げて巨大な散水機で水を絶えず撒いてやらなければならない、ある意味では厳しい自然環境です。しかも、オーストリア側の西岸は雨が多くて山も緑でしたが、高い山脈で遮られている太平側は雨が少なくて、どの山も草しか生えていませんでした。
 南島の西岸で最も有名なフィヨルドであるミルフォードサウンドでは船で2時間ほど遊覧をし、巨大氷河はマウントクックの東側と西側から3カ所で眺め、夏でもあちこちに雪の残る巨大岩山の姿に圧倒されながら、多くの湖や絶景を眺めて走り、夜は飛び込みでモーテルを探して泊まる。もちろん、自炊です。料理は車の運転の出来ない私の出番です。ワインもたっぷり飲みました。モーテルは2ベッドルーム1キッチンとシャワー付きで200㌦ほど。食材は数少ないスーパーや道路わきの野菜売り場を見つけて入手します。
道路は片側一車線ですがよく整備されており、キャンピングカーに出会うくらいで、数十キロも人家のないほとんど無人の地を、時速120キロで疾走する面白い旅でした。
 娘の夫は3週間の休暇を取っていましたから、毎日、車で200㌔ひとっ走り、牧草地で放牧されている羊や牛や鹿やアルパカを眺めながら、昨日は東、今日は北、あすは南と、家でおとなしくする暇もないくらい愉快に過ごしました。手のひらほどの大きいアワビが獲り放題(12.5㌢より大きいものなら10個まで持ち帰りOK)、20㌢もあるムール貝も獲り放題、砂浜を歩いて貝拾い。遊覧船でペンギン・アザラシ・イルカのウオッチング、ワイナリーを訪れて試飲。
クライストチャーチ周辺は、地震で多くの人が逃げ出したのでしょう「フォー セール」の家が至る所に見られ、安いものは庭着き一戸建てで2,000万円、高くても5,000万円くらいです。しかし、国民400万人の小さな経済規模の国ですから、生活物資も食品も輸入品が多いらしく結構高い、必ずしも住みよいかどうか分かりません。しかも、魚を食べない国民ですから、スーパーでも皮と骨を取り除いた鮭や鱈のようなものしか売っていません。ヒラメだけは超お買い得の方法がありました。クライストチャーチから2㌔もある長いトンネルを抜けた港には、毎週金曜日に一人の漁師が3㌧ほどの漁船に乗って、ヒラメを売りに来ていました。1㌔近い大きなものが10㌦(1㌦70円)です。日本では考えられない安さですから、バケツを持って行って一度に5、6匹も買って帰り、刺身にしたり、ガーリックオイル焼きにしたり。アワビやムールー貝は無料で手に入れましたが、獲り過ぎて食べるのに苦労しました。



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