(目魁影老の徒然道草 その17)ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教は同じ宗教
世界に宗教は3つしかない。それはユダヤ教とキリスト教徒とイスラーム教である。宗教とは何か――唯一の神、聖典、預言者という3つがなければならない。こう語る敬虔なイスラーム信者であるトルコ青年は、頑として、仏教も、ヒンドゥー教も、道教も、儒教も、宗教とは認めなかった。
脳の発達により、人類は道具を使用するようになり、言葉を話すようになり、他の動物には見られない文明をつくり出した。食べ物の入手や蓄え、火の使用、子供を猛獣から守るために、集団生活を始めコミュニケーション能力を高めていった。しかし、自然の営みは、人知の及ばぬ恐怖であり、その「怒り」はしばしば人類を苦しめた。嵐や病から身を守るために安寧を願い、生きていくために自然の恵みや豊狩を祈った。祈りを捧げる対象は様々で、人類は多神教を生み出した。
万物は「唯一の神」によって創られたという信仰が、いつ興ったのかは定かではない。紀元前13世紀にエジプトで生まれたモーセは、シナン山に登り、神との契約「十戒」を受けた。ユダヤが破れ、エジプトの捕囚となっていた時代で、信仰によりユダヤ民族は異民族の支配から脱して救われると説いた。
1,300年後、ユダヤ教の信者であった大工キリストは、ユダヤ民族だけではなく、その「唯一の神」を信仰すればすべての人々が救われると説いた。新しい教義を開いたために、ユダヤ教徒によって十字架にかけられて殺された。
そのさらに600年後に、洞窟で瞑想していたムハンマドは、天使ガブリエルから「唯一の神」の啓示を受けて、イスラーム教を開いた。商人ムハンマドの暮らすアラブのメッカは多神教の地であった。
ユダヤ教とキリスト教とイスラーム教はそれぞれ別の神がいるわけではない。「神は唯一」である。預言者が3人いて、聖典が旧約聖書、新約聖書、クルアーンと3種類あるだけの違いで、同じ一神教である。この神の宿る地は、イスラエルのエルサレムであり、3つの宗教にとって、最も大切な聖地である。
ムハンマドは文盲であった(?)から文字を残していない。クルアーンは死後に弟子たちによって綴られたムハンマドの言葉集である。アラブ人ムハンマドが神から受けた啓示はアラビア語である。モスクから流れるお祈りを呼びかける言葉もアラビア語である。その荘厳で美しいアラビア語によって、イスラーム教は朗誦の宗教と呼ばれる。クルアーンはアラビア語で書かれ、アラビア語で読まれ、アラビア語で朗誦されなければならない。アラビア語以外で表記されたものは、クルアーンではない。それは解説書、翻訳書に過ぎない。
イスラーム教徒も、もともとは聖地エルサレムに向かって礼拝した。しかしその後、ムハンマド誕生の地メッカが聖地とされ、一日に5回の礼拝はメッカに向けて行うようになり、信徒は生涯に一度はメッカ巡礼をしなければならないと教えられた。宗教は知性や理性によって理解されるものではない。ただひたすら信じることである。なぜ「豚肉を食べてはいけないのか」と問いを発しても、それを理屈で説明することは出来ない。「神の言葉であるクルアーンに豚を食べてはいけないと示されている」(トルコ旅行中の青年ガイドの話)からである。神は絶対であり、偉大である。預言者ムハンマドも神と同じように、絶対に誤りを冒すことのない「無謬」の生涯を送ったとして崇められる。
« (目魁影老の徒然道草 その16)イスラーム原理主義イデオロギーは20世紀に生まれた | (目魁影老の徒然道草 その18)イスラーム共同体は布教する軍隊であった »