(徒然道草その44)現世の「竜宮城」オマーン訪問記④
カブース国王の最大の内政は地方巡行である。毎年、多くの大臣たちを引き連れて天幕生活を送りながら、1カ月かけて国内およそ200部族を順番に回って、部族のリーダーたちの声を聴き、多くの国民と握手をする。マスカットを離れて、これまでに国内すべての町や村を訪れた。国民すべてが、直接、国王に触れあえるのがオマーンである。イスラーム教は偶像崇拝を禁じているため、モスクには一個の彫像も一枚の神の絵も飾られていない。ステンドグラスも壁も扉もすべてモザイク模様である。神の姿もムハマンドの姿も、人々は誰も見ることは出来ない。すべて信者は心の中で神を信じるのであり、人間は他人の心の中を見ることは出来ない。神の前ではすべての人々は平等である。従って、モスクの中には祭壇もなければ、玉座もない。大きなシャンデリアが天井に吊るされていて、きらびやかであるが極めて簡素である。信者は、分け隔てなく絨毯の上で礼拝するだけであり、職業としての僧も司祭も存在しない。
しかし、オマーンでは至る所に、カブース国王の大きな写真が掲げてある。役所や公共施設に限らず、街の中でも、レストランの中でも、日本にあるオマーン大使館に掲げてあるのと同じ写真に出会う。カブース国王は決して大きな体躯の人ではないが、軍服を着て訓示をしたり馬に乗ったりすることもあるが、殆どは伝統的な衣服とサンダル姿である。外国の国王や大統領といった首脳と会見するときも、ネクタイやスーツ姿ではない。微笑や笑顔の写真はほとんどないが、頬・顎・口元は真っ白な髭に覆われ、威厳と慈愛に満ちた姿で人々を見守っている。写真がどこにでも飾られているのは、上からの強制ではなく、カブース国王に対する国民の感謝の心の表れであるように感じた。
アラブの王政国家では、石油・天然ガス収入はすべて国王のものとなるが、それが国家財政を支えるとともに、国民に公平に配分される。国王の手で、多くの都市にモスクが建設され、学校や病院が整備され、道路が造られ、マスカットの発電・淡水化プラントから電気と水が送られてくる。税金は無く、教育も医療もすべて無料である。
オマーンの人々にとって、それらはすべて「国王からの贈り物」である。
★ ★
オマーンは海洋国家として異文化との交流が長く、インドや東アフリカから移り住んできた人々も多いため、ホスピタリティー溢れる国である。英語がどこでも通用し、表敬訪問した我々を出迎えるホストも、街のスークの商人も、タクシーの運転手も、ホテルやレストランの人も、モスクで行き交う人々も、とても親愛の情に満ちている。笑顔と握手があり、慎み深く、じっと私たちの話を聞き、丁寧に応えてくれる。喋りまくられて私たちが辟易するようなことは一度もなかった。
IS(イスラーム国)の掲げる1400年前の「理想国家」に最も近いアラブの国は、宗教と伝統文化の遵守を続けるオマーンなのであろうか、ISといったテロ組織の影などどこにもなかった。東京よりも治安がいいようにさえ感じた。それでも、「この国に政治犯はいないが、テロに対する警戒は強めている」らしく、新しい大きな警察の建物があちこちに建設されていて、パトカーも見かけた。伝統的文化を大切にするというカブース国王の考えは、国民生活の隅々にまで浸透しており、建物の色も建築監督局が目を光らせていて、基準に合ったものしか建築許可を与えない。警察署は黄色い色と決められているから、どこの町に行ってもすぐにそれと分かる。首都マスカットでは建物の高さも決められていて、隣国ドバイのような高層ビルや奇抜な外観のものは見られない。ほとんどが真っ白に塗られている。政府関係の建物や公共施設は正面屋上に必ず国旗を掲げている。
マスカットの道路は広く真っすぐで、ナツメヤシとかアカシアとか、街路樹と芝生が綺麗に植えられている。植物に欠かせない水は上水ではなくて再利用した中水を使っているらしいが、外国人駐在員の家などは敷地が広く緑豊かで、庭の木々に毎日やる水の料金だけでも数万円掛かり大変ということであった。
マスカットは日本で言えば沖縄の宮古島くらいの位置にあり、私たちが滞在したのは3月中旬であったが、昼間は気温が30℃を超す。オマーンの国土の広さは日本全土の85%くらいで、そのうち80%が砂漠で、雨は年間100㍉も降らないから河も川もない。マスカットは背後に3,000㍍級の山脈があるため大雨が降ることもある。しかし岩山には全く草木が生えていないので、雨は一気に濁流となって海に流れてしまう。水はすぐに干上がり、砂利とわずかの灌木が生えただけの涸れ川となる。地図を見て川の表示があっても、そこは車が走っていたりする。
貯水ダムは造らない。瞬間的に大雨が降ったら、ダムが決壊してしまい大きな災害を引き起こす恐れがあるためらしい。旧約聖書に登場するシバの女王の都のあったイエメンの王国が貯水ダムの崩壊で衰退してしまったことがトラウマになっているのか、オマーンでもたびたび大洪水に襲われてきた経験からか、巨大貯水池は見当たらない。
たちまち困るのが、生きていくための生活用水の確保である。マスカット発祥の地は岩山に三方を囲まれた1㌔四方ほどしかない旧市街。そこはかつてポルトガルの城塞とインドへ向かう帆船の風待ち港があった場所で、今では王宮が立っている。峠道を越えて2㌔ほど北西に進むとマトラフという港町。ここは庶民が暮らす狭い迷路のような道と古い建物、そして魚市場とアラブ第一といわれるスークで賑わう観光地。次に開けたのが、その西側の盆地の新市街ルイ。全部合わせても、せいぜい2万人しか暮らせないほどの狭い場所が、かつてのマスカットであった。水がないので、確かにそれ以上に人口が増えることは不可能であったろうと思った。畑もない、木もないので、食料と燃料を確保するのも困難を極めただろう。
しかし、現在の大マスカットは人口80万もの大都市である。ルイから5㌔も西へ進むと山道が一変し、岩山の山脈とアラビア海の間に、北西のホルム海峡まで300㌔も続くビーチと平原が出現する。ここに次々とつくられたのが、官庁街、商業地区、飛行場、学校、モスク、ホテルであり、街全体を見渡せる高台には国王の新しい執務宮殿がある。必要な水はすべて海水の淡水化で賄っている。その巨大発電・淡水化プラントは日本企業が中心になって、マスカット郊外に建設した。東レ製の逆浸透膜を使って作られた「真水」は市内はもとより、国内北半分の全域に配水パイプで送られているという。