(徒然道草その19)明治維新は革命かクーデターか
武力で国家を転覆させることを「革命」と呼ぶ。それは中国に生まれた思想で、悪政を行った支配者は「天の命によりひっくり返る」というものである。
ヨーロッパで始まった近代以降の革命は、知識人が主導し絶対王政を倒した「ブルジョワ革命=市民革命」と、労働者が国家権力を握った「プロレタリア革命=社会主義革命」とに分かれる。ブルジョワ革命は自由と人権を重んじ、選挙で政治家を選ぶ共和制国家をつくり、プロレタリア革命は人民の平等を重んじ、土地私有制をなくして一党独裁国家をつくる。いずれも、壮絶な内戦と大量殺戮を引き起こす。では、明治維新は革命であろうか。
「革」という漢字は、剝ぎ取られて、なめされた、獣の頭から足先までの皮のことである。生の皮とはすっかり異なったものになるので、「革」は改まる、改めるという意味になる。
明治維新の英訳語は「王政復古」という意味で「Meiji Restoration」と表記される。下級武士による武力蜂起によって、江戸幕府という封建政権が崩壊し、天皇中心の政治体制が再びよみがえったが、「クーデター」や「市民革命」とは呼ばず、「維新」という。支配階級である武士同士の武力衝突であり、市民階級や農民や労働者が政権を打ち立てたものではない。
フランス革命やロシア革命といった内戦は、自国民同士が壮絶な殺戮を繰り広げ、何万人、何十万人もの人々が殺された。しかし、明治維新をもたらした節目の衝突である鳥羽・伏見の戦いで死んだのは、幕府側と薩長側を合わせても390人に過ぎない。
江戸幕府という260年続いた武士中心の社会は、分国支配も身分制度も廃止され、明治新政府によって、欧州列強に負けぬ中央集権の国民国家へと大きく変貌を開始し、軍隊も教育も経済も根底から近代化されていった。
しかし、1868年の維新から77年後、1945年8月15日に日本は「滅びた」。
帝国主義の猛威が荒れ狂う時代に、日本は植民地にされる脅威をはねのけ、自力で生き延びた。だが、西欧列強と覇権を競う帝国主義国家へと舵を切り、軍国主義に翻弄され、国力を超えた亡国の戦争に飲み込まれていった。
敗戦後の日本は、いわばアメリカの属国となり、その庇護のもとに、軍事力に頼らぬ経済偏重国家としての道を余儀なくされてきた。
アメリカは、唯一の核保有国として、国際連合を中心とした新秩序の構築により世界支配に乗り出そうとした。日本に対しては「アジアのスイス」として農業国(?)にすることを狙い、再軍備を封じ込めるために「憲法9条」を押し付けた。「国家間の戦争を止めなければ、人類は滅びる。戦勝国が国際連合をつくり、その基に国連軍を創設する。国際紛争は国連軍のみが対応する」という理想をアメリカの大統領ルーズベルトは心に抱いていたと私は考えている。
しかし、社会主義国のソ連は世界中に「赤色革命」を伝播する野心に挑み始めた。東西冷戦の勃発、核兵器の開発競争により「人類滅亡の危機」が世界中を覆い、「国連軍創設」により世界平和を保つという理想は夢と消えた。
日本は第二次世界大戦により「一度滅びた」。それから71年が過ぎ、東アジアは未曽有の危機が深まっている。守ってくれる「国連軍」無き時代に、「憲法9条」だけで国家は生き延びていけるだろうか。再び77年目にして「日本は滅びる」のではないか。そんな不安に襲われる。1940年に日本は「東京オリンピック」開催を返上した。2020年オリンピックは無事に成功するであろうか。