(目魁影老の徒然道草 その15)アメリカ独立は封建制度崩壊の脅威であった
私はアメリカが好きである。中国も好きである。ただ、それよりもっと日本が好きなだけである。「日本よ強くなれ!」と願うのは、日本の将来、さらには世界や地球の未来を憂える老人のサガである。かつてアメリカとソ連の間で冷戦時代が始まり、核軍拡競争が苛烈を極めたとき、「ひとたび核戦争が起きれば、人類は滅亡する」という恐怖心に襲われて、物理学者のアインシュタインや哲学者のバートランド・ラッセルが世界中の人々や若者に平和を訴えたように、老人になると臆病になり、悲観論者になる。けっして左翼でも右翼でも急進派でもない。
18世紀初頭のヨーロッパでは、平等主義、社会契約説、人民主権論など理性による人間解放を唱える啓蒙思想が広まっていた。イギリスでは産業革命が起こりつつあった。1775年にアメリカでは独立戦争が勃発し、1783年には自由平等を掲げたアメリカ合衆国が誕生した。土地と住民を支配する領主、大公、国王、皇帝による絶対王政を続けていたヨーロッパ各国の君主や貴族は仰天した。それは封建制の崩壊を想起させる悪夢であった。植民地の住民たち自らが国家を創設する事態を初めて目にしたのである。1789年にはフランスでも内戦が始まり、皇帝が処刑され、恐怖政治、クーデター、大量殺戮が繰り返され、ヨーロッパ本土にも革命は伝播していった。封建領主の恐れが的中したのである。
1823年の年次教書演説で、第5代アメリカ大統領モンローは、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉を示す「モンロー宣言」を発表した。ナポレオン戦争によりスペインの力が削がれたのを機に、ラテンアメリカ各地で独立の機運が高まった。これを鎮圧しようとしたスペインや、ヨーロッパ各国の干渉の動きを牽制するために、アメリカはこの宣言を打ち出し、その一方で、ヨーロッパの戦争と、ヨーロッパ勢力と植民地間の戦争に対してアメリカは中立を保つというものであった。
アメリカは「人民の人民による人民のための」国家として、第16代大統領リンカーンが南北戦争に勝利して、1863年に奴隷解放宣言を発するまでは、決して自由平等な社会ではなかった。ヨーロッパから宗教的な自由を求めて渡航してきた人々によって開墾が始められたが、先住民のアメリカ・インディアンを殺戮して獲得した広い土地を耕すために、アフリカ黒人をたくさん奴隷として「輸入」して、自分たちは大きな館を建て、まるで新興貴族のように振舞うものも現れた。初代大統領ワシントンも、多くの奴隷と広い農地をワシントンの郊外に所有していた。イギリスにとって植民地アメリカは重要な流刑地でもあった。ヨーロッパから移住してくる者の中には、あくなき黄金獲得の欲望に駆られて一攫千金のアメリカン・ドリームを目指すものも多かった。
アメリカは先住民族インディアンとの戦いが終わり「フロンティア」が消滅すると、モンロー主義を捨て、ヨーロッパの帝国主義と競うように、海外領土を求めて、ハワイやフィリピンへと侵攻を開始した。
第二次世界大戦を終わらせたアメリカは、強大な軍事力を保持する自由主義陣営の盟主として、世界中で社会主義国家の樹立に挑むソ連の動きを阻止することを決意し、「トルーマン宣言」を1947年に発表した。アメリカはこうして民主主義を守る守護神となり、「世界の警察官の役割」を演じることになった。
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