(目魁影老の徒然道草 その9)ピラミッドは人類初の巨大日時計①
5,000年前に造られたエジプトのピラミッド。なぜ四角錐であるのか。何のために築かれたのか。200万個の巨石を、どのようにして積み上げたのか。
まず、ピラミッドの造り方から自論を述べることにする。
ゴリラもチンパンジーも人類も、もともとは同じサル属から分岐した。500万年から600万年前に、直立二足歩行をする猿人が現れ、手が自由に使えるようになり、頭が大きくなり脳が発達(この学説は誤りらしい)して、道具を使用するようになった。200万年前には原人へと進化し、石器や火を使い、洞窟に住み、毛皮をまとっていた。火をおこす技術はなかったから、山火事の火を手に入れたが、火種を守り続けて共同で使うために、集団で暮らすようになった。80万年前から50万年前と思われるジャワ原人や北京原人の化石が発見されている。
そしてネアンデルタール人のような旧人類が35万年前に誕生し、スペインなどに人を埋葬した痕跡や洞窟に絵を残している。25万年前ころアフリカに出現した新人類が、4万5,000年前には欧州にまで拡散し、先住ヒト属のネアンデルタール人は生存競争に敗れ2万5,000年前には絶滅した。今の地球上に生き残っているヒト属は、新人類のホモ・サピエンスのみである。
チンパンジーも道具を使う。石で木の実を叩き割ったり、木の枝をアリ塚に差し込んで蟻を捕まえて食べたりする。人類の道具は、石器→土器→青銅器へと発達したということを教科書で習ったが、私は最初の道具は「木」であったと考えている。猿人も原人も新人類のエジプト文明も、最も使用した道具は木であったに違いない。木は火で燃やすだけではない。水に浮く道具である。
クフ王の巨大ピラミッドは、底辺230メートル、高さ146メートルもある。鉄器もない時代に石器を使って、ナイル川の上流の採石場で切り出した2.5トンもの石は筏か舟か、いずれにしろ、木材に乗せて運ばれた。石の隙間に溜まった水は、氷ると膨張して、石を割ることがある。古代エジプト人はこの膨張力を使って石を割った。岩山に溝を刻み、その中に乾燥した草を詰め、水で湿らせて膨張させる方法で、石を割って切り出し、ナイル川を下った。
そしてこんな寓話がある。大きな象の体重を知りたいと思った王様が、どうしたら体重を計れるか尋ねた。だれもそんなことの出来る大きな秤はないと思った。するとある知恵のある子供が、私が計ってみせましょうと申し出た。まず、池に船を浮かべて象を乗せた。そして船が沈んだ部分に印をつけた。象を降ろして、今度はその印に船が沈むまで、たくさんの石を乗せた。その石を少しずつ秤で計って、全部を足し算した。こうして象の体重の答えを出した。
ナイルの水と木を使って、ピラミッド建設の場所まで運ばれた石は、巨大な斜道を建設して、その上を人力で引っ張り上げたのではない。運河を掘り、ピラミッド建造部分の真ん中に池を作り、何艘もの船が池に集まると、閘門を閉じる。そこに水車か井戸水くみ上げ方式かを使って、水を少しずつ注ぎこむ。船とともに石は浮力で高く上がっていく。木材を梃子にして、2.5トンもの石を転がし、ピラミッドの周辺部分から石を並べていく。一段出来上がると、その上にまた池と閘門を新しく造る。たぶんこのやり方が、最も簡単な方法である。しかし、考古学者たちも、いまだ誰もこのことを主張したことがないようだ。
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