目魁影老と名乗ります
生まれてこの方、親に頂いた名前で過ごしてきた。だけども、60年余りもこの名前で演じてきた生業を辞めて、すっぱりと過去の舞台を忘れ去るからには、自分で新しい名前を決めてかからねばならない。
人生は、その時々の役目をいかに演じるかであると思っている。いい成績をとり親を安心させることを高校生までは心がけてきた。それから先は自分ながらに納得のいく演技を考えながら、どちらかというと気ままに演じてきた。
わが故郷には、池田勇人という首相がいた。隣の県には岸信介、佐藤栄作という兄弟の首相もいた。小母や小父たちは政治家好きで、広島でも山口でも、それぞれの応援団に入って選挙運動に駆けずり回っていた。私も将来は政治を志し、家は貧しい農家であったが、世界人類のために働きたいと密かに願い、そのためには東京に出ていかなければならないと思い始めていた。
高等学校に入学したてのころは、人生を賭けるに値する生き方は、政治家になるよりも科学者の道を選び未知の世界の探求に挑む方がかっこいいと思った。これから飛躍的に発展するのは宇宙・分子医学・電子技術(コンピューターの存在を未だ知らなかった)の3つに違いないと考え、そのいずれかを目指すことにした。ところが自分の頭では物理の教科書がさっぱり理解できない。早々と文系に軌道修正した。
文筆家になるかもしれないから、その時のために備えて、ペンネームを考えておこうと思いついたころがあった。御崎祐一がいいと、心に決めた。20歳のころ知り合った何人かの女子大生に憧れを抱くようになり、そのうちの2人の姓(みさき)と名(ゆうこ)をくっ付けただけの他愛のないものである。しかし、この歳になって名乗るには、もはや気恥ずかしい。
会社や役所という組織の中では、才能のある人材が主役や脇役といった恵まれた配役にありつけるわけではない。振り返ってみれば、若いころの夢とは随分とかけ離れた日々を過ごしてきたことになる。この歳になってやっとつかんだ全くの自由時間、体力の続く限り、世界中を徘徊しよう。
吉田松陰は、自らの目と耳で世界を知るために、ひたすら動き、考えた。鋭い感性と知識によって、この国の行く末を憂い、松陰の若すぎる死は、若者たちの心に火をつけた。
生きものは動物も植物も、種族を残す役割を果たし終えると、死滅へと向かう。人類だけが、生殖能力を失った後も、じめじめと生きながらえる。不幸なことだ。どうせ往生際が悪いなら、心の赴くままに道草を食いながら旅をしよう。環境破壊によって滅びゆく生き物の悲しみ、飽くことなき物欲に踊り続ける愚かな人類、この宇宙の行く末を360度見渡せる大きな目玉をもって徘徊する、そんなトンボになりたいと思いついた。しかし頭よりも前に突き出した目玉が重すぎて、自由に飛び回るには歳を取り過ぎた感じもする。よたよたと木陰を独りで飛び回るカゲロウの姿の方が似合いそうだ。
そこで、目魁影老(めさきかげろう)と名乗ります。