(徒然道草その27)人々はなぜ古代より「黄金」を崇めるのか
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(徒然道草その27)人々はなぜ古代より「黄金」を崇めるのか

2017年01月30日(月)3:42 PM

地球になぜ黄金が存在するのであろうか?

マルコポーロがヨーロッパに伝えた「黄金の国ジパング」は、実はその昔には「金」の全く無い国であった。

 地球にはなぜ、様々な岩石や金属が存在するのであろうか。宇宙はそもそも、水素とヘリウムという2種類の元素しかなかった。この2元素から原始惑星が生まれる過程で、核融合が起こり、あるいは小惑星同士の衝突で生じたエネルギーによって、新しい元素や、金属や、岩石が生まれたと考えられている。

 小惑星同士の衝突と合体で地球が生まれるときに、衝突エネルギーによって「金」が生まれたのか、そもそも小惑星に「金」という元素が存在したのか?

いずれにしろこの地球には「金」が存在するが、その量は鉄や銅に比べようもなく少ない。マグマの熱水活動によって微量の「金」は濃縮され、花崗岩の中に鉱脈をつくったが、岩石1㌧の中に1㌘ほどしか含まれない。にもかかわらず、地殻変動や岩石の風化などによって、砂金などほぼ純金の塊として見つかるため、「金」という金属を人類は、古くから採取ことができた。

 類人猿から進化した人類は、農耕文明を始める前から「太陽は恵みを与えてくれる源」であると気付いた。太陽の傾きが低い時期になると日没が早くなり、天高く上り金色の輝きが増すと、一斉に花が咲き、実りの季節がやって来る。原始宗教は「太陽を神として祈る」ことから始まったに違いない。狩猟であれ、農耕であれ、戦であれ、豊穣や勝利を神に祈る儀式を司るものは、自らもまた「太陽の輝き」を身に纏うことで「神の化身」を演じる。「黄金」ほどふさわしい宝物はない。古代の王の古墳から出土する黄金のマスクや王冠、黄金の首飾りや腕輪などの「金」製品は、黄金をいかに崇めていたかという証である。

 仏教もまた、最初は偶像否定から始まったが、仏像がつくられるようになると、その仏像は世界を光明で照らすために「金色」に塗られた。仏教を取り入れた日本では、奈良の都に、国分寺の総本山として東大寺を築き、大仏を建立した。律令国家の一大事業である。銅で鋳造されたその大仏は「金色」の輝きを放つものしなければならない。しかし当時の日本は「金」は採れなかった。中国から買ってくるしかないはずだった。ところが、日本にも「金」があった。陸奥の国から黄金900両(砂金約13㌔)が献上された。

 この日本初の黄金発見を慶んだ聖武天皇は、年号を「天平」から「天平感宝」

と変えた。こうして天平感宝4年(752年)に大仏開眼供養が盛大に催された。

 大仏造立に使われた「金」の総量は約146㌔だった。献上された日本産の「金」はその10分の1にも満たなかった。しかし、日本にも「金」があることが分かったため、朝廷は「金」をもっと増やそうとした。そこで、砂金の発見された陸奥の国多賀郡(現在の宮城県北部)より北に住む民に対して、新たな税金制度を設けた。「4人で年間1両(約14㌘)を朝廷に納めること」を義務付けたのである。これを単純計算すれば、100人が住む村があると、1年間に350㌘の砂金を集めて、税金として納めなければならない。

 農耕をまだ知らなかった陸奥の国の人々は砂金を求めて川を遡り、平安時代に入ると岩手県南部へとゴールドラッシュは移っていった。(陸奥の国の話はJR新幹線内の雑誌トランヴェールから引用)

 桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍として陸奥の国に派遣したのは、この「金納税義務」をさらに東北北部へと広げるのが狙いだったのかも知れない。

 



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