(徒然道草その26)トルコを見ないのがトルコツアーである
トップページ > (徒然道草その26)トルコを見ないのがトルコツアーである

(徒然道草その26)トルコを見ないのがトルコツアーである

2017年01月30日(月)3:39 午後

 イスタンブールを出発し、小アジア半島の西半分を反時計回りに一周するのが、トルコ旅行の定番である。40人乗りの大型バスで、毎日300㌔も走りながら、各地の歴史遺産を観光する。ホテルに着くと急いで大きなトランクを開け、再び翌朝早く荷造りをする。この繰り返しが10日間も続く忙しい旅である。

 世界で初めて鉄器をつくり出した「ヒッタイト文明」は、2,500年前にこの小アジアに興った。その後、ギリシャ人がこの小アジアの沿岸を植民地として開墾し、オリーブを育てるとともに、都市や神殿を築いた。このオリエントの地はアナトリア半島とも呼ばれ、東方のペルシャと領有を巡って幾たびもの戦いを繰り広げた。アレキサンダーの勝利によってヨーロッパ支配が続くようになり、ローマ帝国の属州となった。西暦395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンチノープル(後のイスタンブール)は東ローマ帝国の都として栄え、小アジアはバルカン半島とともにギリシャ正教の支配する主要領土であった。

 東ローマ帝国は11世紀前半に最盛期を迎え、その後は、アジア系民族の圧迫を受け、13世紀のモンゴル襲来を経て、1453年にはついにトルコ民族によって滅ぼされてしまった。アジアとヨーロッパ、北アフリカにまたがるイスラーム教の大帝国を築いたオスマン朝もまたコンスタンチノープルを首都とした。そしてギリシャ正教の大本山であったソフィア大聖堂は、エルサレムに向いていた祭壇をメッカに向けて改修し、キリストの絵やモザイクを塗りつぶして、イスラーム教の巨大モスクに衣替えさせられた。

 イスラーム教も、キリスト教も同じ一神教であり、神はこの世に唯一のものであるから、どちらの宗教にとっても同一でなければならない。その神に祈りを捧げる神聖な場であるキリスト教の大聖堂を、イスラーム教もまたモスクとして再利用することは、至極当然のことであった。ユダヤ教も、キリスト教も、イスラーム教も、仏教も、原始宗教の偶像崇拝を否定することから始まったが、その戒律が厳しく守られているのがイスラーム教である。従って、小アジアを征服し、キリスト教徒を追い払ったトルコ民族は、キリスト教徒が祈りを捧げた彫像も絵画も、ギリシャやローマが残した神殿も、奪ったり、破壊したりしなかった。偶像崇拝の残渣と思って、無視し、放置した。

イスラーム教徒が建てるモスクには、神を物語る絵も彫像もない。白壁に囲まれただけの祈りの場であり、イスラーム教には祈りを捧げる儀式を職業とする司祭も牧師もいない。人々はそれぞれが持ってきた一枚の絨毯を広げ、自分の信仰を「アッラー」に誓い、メッカに向かって、「心の中の神」に祈る。 

 トルコのどこにも「イスラーム教の遺跡」など無い。モスクは村々にあるが、その中には観光客が見るべき「絵も神の像」も無い。その代わり、放置されて手つかずのまま残ったオスマン帝国以前の遺跡が、この国には無数にある。

ギリシャに敗れて滅んだトロイの城塞、アレキサンダーの造った丘の上の神殿、ローマ帝国時代の港や古代都市、クレオパトラがアントニウスと歩いた石畳の道、商人たちが訪れた娼婦の宿、あちこちに無造作に転がっている多くの彫像や古代都市の痕跡を留める石材の山。

カッパドキアにある巨大な「地下都市」がなぜ20世紀半ばまで発見されることがなかったのか。アジア系民族の侵略から逃れ、かつてキリスト教徒たちが地下深く隠れた十字架の教会、それは敬虔なイスラーム教徒の国トルコだからこそ、深い眠りに包まれて、そのまま残ることが出来たのだ。



«   |   »